鬼の立場 嫌われる勇気と嫌う勇気
前回のテーマ「鬼」の記事で、ギドラさんから「泣いた赤鬼」についてのコメントをいただいた。
私のブログは、記事よりもコメントの方が読みごたえがあり、コメント無くしては成り立たない。
「泣いた赤鬼」のストーリーを、ウィキベディアで調べてみた。
とある山の中に、一人の赤鬼が住んでいた。赤鬼はずっと人間と仲良くなりたいと思っていた。
そこで、「心のやさしい鬼のうちです。どなたでもおいでください。おいしいお菓子がございます。お茶も沸かしてございます」
という立て札を書き、家の前に立てておいた。
しかし、人間たちは疑い、誰一人として赤鬼の家に遊びに来ることはなかった。
赤鬼が一人悲しみに暮れていた頃、友達の青鬼が提案した。
「青鬼が人間の村へ出かけて大暴れをする。そこへ赤鬼が出てきて、青鬼をこらしめる。
そうすれば人間たちにも赤鬼がやさしい鬼だということがわかるだろう」
これでは青鬼に申し訳ないと思う赤鬼だったが、青鬼は強引に赤鬼を連れ、人間達が住む村へと向かい、作戦は実行された。
青鬼が村の子供達を襲い、赤鬼が懸命に防ぎ助ける。
作戦は成功し、おかげで赤鬼は人間と仲良くなり、村人達は赤鬼の家に遊びに来るようになった。
だが、赤鬼には一つ気になることがあった。それは、親友である青鬼があれから一度も遊びに来ないことであった。
赤鬼は近況報告もかねて青鬼の家を訪ねることにした。
青鬼の家の戸は固く締まっており、戸の脇に貼り紙が貼ってあった。
「赤鬼くん、人間たちと仲良くして、楽しく暮らしてください。もし、ぼくが、このまま君と付き合っていると、君も悪い鬼だと思われるかもしれません。それで、ぼくは、旅に出るけれども、いつまでも君を忘れません。さようなら、体を大事にしてください。ぼくはどこまでも君の友達です」
赤鬼は黙ってそれを2度も3度も読み上げ、涙を流した。
人間はなぜ鬼を嫌うのだろう。
「鬼」について調べてみると、「得体の知れない『モノ』」、「安定したこちらの世界を侵犯する異界の存在」などの記述が見つかる。
今の言葉に訳せば、「理解を超えるもの」「異国から来た人」「自分の安定を脅かす存在」などになりそうだ。
私は外国に住んでいる日本人で、原住民にとってはよそ者であり、理解を超える存在である。 理解できないものを、人は怖れ、嫌う。
つまり「鬼」なのである。
だから、鬼の気持ちがよく分かるような気がする。
元来人間は全ての人に好かれるのは無理であるが、鬼ともなればなおさらだ。
それならば、誰を好きになり、誰に好かれるかは、自分で決めればよい。
赤鬼さんは、人間に好かれたかった。
青鬼さんは、誰よりも赤鬼さんが好きで、人間にどう思われようと、赤鬼さんに幸せになってほしかった。
そして、赤鬼さんは青鬼さんの大きな愛に気が付いた。
「嫌われる勇気」を持つとともに、「嫌う勇気」を持つことにしよう。
赤鬼のお面と、今日の名言
今週のお題「鬼」
私の住居の玄関の正面には、赤鬼のお面が飾ってある。
紙製の軽いお面で、日本の民芸品だ。
飛行機に乗せて連れてきた。
怖い顔をしてにらんでいる。
外から入ってくる悪者を追い出してくれる。
今日の名言
「空気は変えるんだよ、良い方向に」
180度の転換は一人の力では無理でも、一人が1度ずつ変えていけば、いつかは全体の流れが変わっていく。
そのためにも、空気を読み、流れに真っ向から反対するのではなく、勇気をもってすこ~しだけ流れを変えてみよう。
そして、少しずつ世の中を良くしていこう。
たっふぃーさん、名言を有難うございます。
大人になったなと感じるとき
今週のお題「大人になったなと感じるとき」
大人は、大人を信じない
純真な子供の頃、私は大人というものは全て正しいことを言い、行動するものだと信じていた。
特に、新聞やテレビに代表されるマスコミや、政治家の偉い先生方の言うことはそのまま信じていた。
有名な全国紙からは入試にもよく出題されるとかで、学校でも新聞を読むことが推奨された。
新聞が「・・すべきである」と言えば、その通りにしようと自分なりに真面目に努力し、社会を良い方向に変えるために自分が何をすべきかと小さな心を痛めた。
ある日、周りを見て、ふと気が付いた。
そういう立派な大人たちは、口だけ偉そうなことを言って、何も行動していない。
そして、私は大人の言うことを純粋に信ずるのをやめた。
大人は、心にもないことを言い、心にあることは言わない
相手の立場や心情を推し量り、言葉を選ぶのが大人の社会である。
つまり、自分が言いたいことを言うのではなく、相手が聞きたいことを聞かせるのが大人のたしなみといえよう。
本音と建前の使い分け。
これが、なかなか難しい。
自己主張無くして、どこに自己の存在意義があるのか?
・・・と、若者のような疑問がでてしまう。
しかし、ここで考え直す。
相手が聞きたいことを聞かせることによって、社会生活がスムースになり、自分の利益になる。
こう自分に言い聞かせ、大人になるように日々研鑽の今日この頃である。
天皇皇后両陛下の新年ビデオメッセージ
令和3年1月1日朝5時半に宮内庁HPに、令和になって初めて両陛下のビデオメッセージが公開された。
時差があるので大晦日の夜8時にマクロン大統領のスピーチを見てから、9時半に宮内庁のHPにアクセスした。
主な式典におけるおことば(令和3年):天皇陛下のおことば - 宮内庁
聞くところによると、ビデオメッセージはテレビ放送されず、新聞でも全文載せていないとか・・・。 幸い、YOUTUBEで繰り返し見ることができる。
コロナ対策に対する政府への批判も多い中、両陛下は政治介入にならずに国民に寄り添い、励ますために、お言葉を慎重に選ばれていた。
皇后陛下がお話になる間、天皇陛下もご一緒に口を動かされていた。
海外にいる日本人にとっても遠くからこうしてメッセージをいただくことはとても励みになる。
また、新年にあたりご一家のビデオも公開された。(初めの45秒間だけ)
今後も毎年、天皇皇后両陛下の新年のメッセージを続けてほしい。
新年のご挨拶 2021
あけましておめでとうございます。
本年もよろしくお願いいたします。
若き日の浮遊人による手作り版画の年賀状をリバイバル。
この年は余分に準備したため、数枚余ったのが思い出の宝箱に残っていた。
フリージアを写生し、デザインし、3枚の木版を彫って重ね刷りした。
筆で手書きした文字は、今回ブログ公開に際し、印刷文字に編集した。
女王陛下のクリスマスメッセージ
エリザベス女王陛下のクリスマスメッセージ。
youtu.be
紫色の鮮やかなお召し物と、つやのある明るいリップがとてもよくお似合いで、美しい。
1年を振り返ったビデオや、最初の国歌と最後の聖歌合唱も素晴らしい♪
歌っているのは、NHS (National Health Service) 医療関係者の合唱団である。
コメントを見ると、女王陛下の声を初めて聴いたという人もいるのだが、このクリスマスメッセージは1957年から続いている毎年恒例のものである。
youtu.be
フランスでは大統領の大晦日のメッセージが恒例である。
日本では新年の一般参賀に代わり、初めて天皇陛下の新年のビデオメッセージがあるそうで、とても楽しみにしている。
これを機に、毎年恒例になるのでは?
話変わって、ブックオフで見つけた、掃除を楽しくする本。
4冊のうち3冊はフィクションである。
大掃除が楽になるように、普段からもっと掃除ができたらよいなあ。
クリスマスは、疾風のように♪
一月ほど前から大騒ぎしていたクリスマスも、疾風のように去ってしまった。
久しぶりにケーキでも食べようと思い、24日にケーキを買ってきて、25日の朝食はケーキにした。
バタークリームがたっぷりで、こってりとしている割に甘さは控えめで、満足のおいしさ。
今年はコロナの影響で、日本でも帰省を自粛している人が多いようだが、フランスでも、初めて一人でクリスマスを過ごす人が増えたようだ。
群れるのが大好きな彼らにとって、クリスマスを一人で過ごすのは、人生の大危機かもしれない。
いつも道で立ち話をするだけの隣人から、突然イブのお誘いがあった。
恒例なら大家族が集まって過ごすのに、今年は中止になり、普段集まっているお友達からもコロナを心配して断られ、私は最後の選択らしい。
もちろん断った。
知り合いからクリスマスメールが来た。
悲しいお知らせがあるというので家族にご不幸でもあったのかと思ったら、何と熟年離婚したという。
初めての一人のクリスマスは寂しいのかな? これから慣れることだね。
道を歩いていたら知らない女性に話しかけられた。
紙を手に持って「フランス語が読めるか?」と聞くので、道に迷ったのかと思ったら、クリスマスカードだった。
自分で読めないので読んでくれという。
目が悪いのかな?
それとも外国人でフランス語は話せるけれど読めないのかな?
「一人でのクリスマスはさぞお辛いでしょう」と書いてあった。
こうやって道行く人に話しかけているのかな?