赤川次郎の本37冊
皆様、こんにちは、お久しぶり。
お気に入りのお店、パリのブックオフ。
今では絶版になったような珍しい本に出合えることもある。
夏休みの終わりの頃、赤川次郎の本が多数出品されていた。
おそらく、持ち主がまとめて売ったのであろう。
昭和の終わりごろの初版本も多い。
赤川次郎と言えば、昭和の終わりから平成の初めごろに大人気の作家だったらしいが、私は数冊しか読んだことがなかった。
バブル時代を彷彿させる挿絵もあり、何しろ1冊1ユーロという破格の安さなので、数冊まとめて買った。
何度か店に行くと、その度に別の本も出ていたので、さらにまとめて買った。
今数えてみたら、結局37冊も買ったことになる。 37ユーロ。
あまり考えずに軽く読めるので、心を癒すのに丁度よい。
華やかなバブル時代を想像して、時代小説または空想小説の楽しさもある。
こうして毎日1冊、通勤時間に読むと、長い通勤も楽しくなるのであった。
11月からまたリモートワークになり、長い通勤もなくなった。
祖父の色々な活動の記憶
ちょっと遅れの今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
祖父は、あまり裕福ではない勤め人だったそうだが、退職後は随分と趣味を広げ、充実した生活を送っていたようだ。
もう、私以外に覚えている人もいないと思うので、祖父に敬意を表して、ここに記しておきたい。
書道教室
祖父は、自宅の一室で近所の子供たちに書道を教えていた。
私と同じ年ごろの、幼稚園に通うような小さな子供たちもいた。
クリスマスには一人一つずつ小さなケーキを用意して、子供たちにプレゼントしていた。
書道を習うというよりも、遊びに来ているのではないか?
教室の生徒ではない私にとっては、なんともうらやましかった。
菊づくり
祖父はまた、菊づくりも趣味としていた。
苗から育て、何度も切ったり植え替えたりしながら、大輪の花を咲かせる。
体力も、手先の器用さも、必要である。
夏の暑い日照りの中、庭仕事に勤しむ祖父の姿が思い出される。
秋には、庭に作った小さな小屋に見事に咲いた菊の花を展示してお客を招き、その美しさを賛美するのであった。
水彩画
いつの頃からか、スケッチブックに、鉛筆と水彩で花の絵を描くようになった。
ひとつひとつ丹念に描かれた絵はとても清らかで美しく、何度見ても飽きなかった。
家には、昭和の皇后陛下・良子さま(香淳皇后)の日本画集があった。
祖父の花の絵に影響を与えたのは、昭和の皇后陛下であったのかもしれない。
孫の図画工作
私が幼稚園デビューして以来、子守をする機会も減り、祖父もちょっと寂しかったことだろう。
それでも、手先の不器用な私は、図画工作は祖父に頼りっぱなしだった。
学校でうまくできない工作などは、家に持って帰って祖父に手を入れてもらうのが常であった。 器用な祖父は、私のヒーローだ。
小学校1年の時の夏休みの宿題には、大きな紙に海草を張り付けたり、魚の絵を描いたり、あれよあれよという間に立派な作品が出来上がっていた。
私もどこか手伝ったりはしたようだが・・
一方、祖父は、私の描いた絵(ペットのオカメインコや、学校の新校舎)を気に入って自分の部屋に飾ってくれていた。
祖父と孫娘の楽しい毎日
今週のお題「おじいちゃん・おばあちゃん」
私が小さかったころ、祖父は近所に住んでいて、毎日のように家に遊びに来た。
家にいる怖い妻(祖母のことである)から逃れて、かわいい孫娘(私のことである)の子守をするのが楽しかったようだ。 私は4歳で幼稚園に入るまでは、一人で外に出たことがない箱入り娘で、遊び相手は祖父だけであった。
お家で遊び・学ぶ
家の中で、祖父は良く本を読んでいた。
私は、その横で、自分なりに塗り絵をしたり絵を描いたりして、芸術活動にいそしんだ。
絵を描くのは、たいてい包み紙や広告の裏だった。
あの頃からリサイクルをしてエコな生活だ。 描き終わった絵は、スクラップブックに保存してくれた。
ときには、一緒に積み木やおもちゃで遊んでくれた。
ひらがなの書いてある積み木で、ひらがなを一文字ずつ、言葉に関連させて教えてくれた。
「を」という平仮名は「をぢさん」の「を」と習った。
本当は、「おじさん」に「を」は使わないのだが、そう習ったのだから仕方がない。
習った字は、さっそく絵の中にも使ってみた。
一緒にお出かけ
近所にお散歩にも行った。
住宅地になる前の、緑の田んぼの風景が、妙に記憶に残っている。
1~2歳の頃だったと思う。
メトロはなく、「都電」が走っていた。
それに乗って、まっすぐな道路の上をどんどん進んでいき、遠ざかっていく景色を見るのは不思議な経験だった。
吉祥寺にある井の頭公園の池の白鳥や黒鳥を見ながら、砂利道を歩いたこともある。
雨が降ると赤い長靴を履いて舗装されていない道の水たまりを歩いた。
お気に入りのお店
一緒に食べるおやつを買いに、散歩がてらにお菓子屋にいくことが多かった。
良く買うお菓子は決まっていて、ラスク・黒飴・かりん糖・卵ボウロ・アンパンなどだった。
このお店は今でもやっていて、昔の店のご主人によく似た息子さんが、たい焼きを売ってくれる。 いや、年齢を考えてみたらあのご主人のお孫さんかもしれない。
数少ない外食は特別なイベントだった。
初めてのおそば屋さんで、盛りそばを食べたこと。
そして、ホットケーキを食べた不二家レストラン。
幼稚園デビュー
ある日、祖父は私を連れて近所の幼稚園巡りをした。
行く先々で子供たちが玄関まで見に集まってきた。
そんなに多くの子供たちをまとめてみることはなかったから、珍しく思った。
数軒回って、結局一番こじんまりとした幼稚園に行かせることに決めたようだ。
そんなわけで、箱入り娘の私は、世間の荒波にさらされることになったのだ。
夏の夜
今週のお題「夏うた」
ベルリオーズの歌曲集「夏の夜」は、テオフィル・ゴーティエの詩を、テノールまたはメゾソプラノのために作曲した6作品から構成されている。
- 第1曲 ヴィラネル (Villanelle)1856年
- 第2曲 ばらの精 (Le Spectre de la Rose)1855~56年
- 第3曲 入り江のほとり(哀歌) (Sur les lagunes (Lamento))1856年
- 第4曲 君なくて (Absence)1843年
- 第5曲 墓地で(月の光) (Au cimetière (Clair de lune))1856年
- 第6曲 未知の島 (L'île inconnue)1856年
この中でも私が一番好きなのは、第3曲。
愛する人を失くした悲哀が強く、ダイナミックで印象的だ。
のちに、同じ詩に、フォーレが作曲した作品「漁師の歌」もある。
かさぼぅさんのお好きな、第5曲。
フランスの歌曲(メロディー)といえば、デュパルクも忘れてはならない。
ボードレールの詩による、「旅へのいざない」1870年
エリック・サティの「ジュ・トゥ・ヴ」 1900年
これはどちらかというと、シャンソンの部類に入るようだ。
CMにも何度か使われたらしい。
音楽を通して、フランス語の詩を随分と覚えたものだ。
あまり日常生活には役立たないが、一方、日常生活に役立たないものこそ文化なのではないかとも思う。
毎晩の雷雨で、パリにも落ち葉が舞う今日この頃。
A LONG VACATION
今週のお題「夏うた」
1981年に発表された、大瀧詠一のアルバム A LONG VACATION は、
まさに、長い夏休みに聞くに相応しい。
冒頭の曲 「君は天然色」を、本人が歌っていた。
今年になって、テレビアニメ「かくしごと」のエンディングテーマの曲として再度注目を浴びている。
39年経って、さらに色鮮やかで、これからも歌い継がれるだろう。
それはさておき、毎日暑い。
アイスばかりでは飽きるので、ゼリーを作ってみた。
日本食料品を売っているお店までゼリーの素を買いに行った。
粉末をお湯に溶かして、冷蔵庫で固めるだけ。
一箱4個分と書いてあるが、小さなカップだと8~10個分になる。
イチゴ、メロン、コーヒーを試してみたが、コーヒーが一番おいしい。
おまけ
夏のシャンソンと言えば・・
アズナブール Paris au mois d'août 1965
ピアフ Padam... Padam... 1951
ペレ Les Jolies Colonies de vacances 1966
夏休み
残暑お見舞い申し上げます。
暦の上ではもう立秋。
パリでは猛暑の一方で、すでに黄葉が始まり、早くも秋を感じます。
今週のお題「夏うた」
夏の歌と言えば、吉田拓郎の「夏休み」
大人になると一層この歌が心に沁みてきます。
今回記事にするために久しぶりにこの歌を聴いたら、その時代を超える素晴らしさに改めて感動して、何度も繰り返して聴いています。
さて、はてなブログ開設から一周年となりました。
ヤフーから急いで引っ越してきて、よく分からないまま始めたブログですが、皆様の記事を読んで、いろんな地方や分野のことを学べるのが何よりの楽しみです。
また、いつもコメントやスターを有難うございます。
これからもよろしくお願いいたします。
パリで着る、パリ観光土産Tシャツ
今週のお題「お気に入りのTシャツ」
友人がパリに来て、一緒に観光をしたとき、お土産にくれたパリのTシャツ。
普通、住んでいるとこういうものは買わないし、着ない。
ずっとしまってあったが、ある日着てみるととても着心地が良かった。
色合いも白地にグレーで、合わせやすい。
ということで、お気に入りの一枚になった。